• 日本でレーシングカートを築いた菅家安智さんにお会いしました。菅家さんは1970年代に全日本選手権で11連勝、幾度のチャンピオンを獲得し世界に舞い出たカート界のパイオニアです。アイルトン・セナを倒した唯一の日本人で、のちにセナのチームメイトになりました。弟子にはF1パイロットの鈴木亜久里さんがいます。ここでは語りきれないほどの逸話を残すレジェンドに、とあるお願いをしてきました。

    「今度、Auto Clubで4stのカート耐久に参加します。僕たちにご指導いただけないでしょうか?」

    若造が緊張しつつも胸が躍らせ大御所の門を叩きました。優しい眼差しで快く、「4ストのレンタルカートくらいならいいですよ。」とご承諾いただきました。

    言葉で何と喜びを表現したらいいのか、鳥肌が立つ想いで嬉しいです。

    ということで、12月28日のオートパラダイス御殿場「冬の陣」耐久レース参戦を目標に練習に取り組みます。

「Sugaya」日本で、カートを知る人が見れば拝みたくなる神様のような存在です。

お店には、写真、ヘルメット、トロフィー 等、歴戦の証が鎮座しています。

左から、矢島金次郎さん、菅家安智さん、都平健二さん。

Auto Club代表の石田は都平健二さんの晩年にマネージメントを担当していました。そして、クラブでカートに取り組むにあたり、都平さんの旧友を尋ねました。

石田は、都平さんの愛弟子の木下隆之さんを慕い、旧友の菅家安智さんを慕う。なんだか、都平さんが僕を、Auto Clubを導いてくれているように感じます。

菅家さんの経歴はこちら↓(菅家 氏のホームページより引用)

菅家安智の軌跡

1944年(昭和19年)6月2日墨田区本所3丁目に生まれる
1963年(昭和38年)4月日大一高卒業、日大経済学部入学
          5月杉並クラブ(トーハツランペット)よりプライベートでモトクロスデビュー
          7月トーハツ(株)よりファクトリーエンジンを貸与される
          10月ヤマハ系スポーツライダースとスズキ(株)よりオファーがあるものの、田中健二朗氏率いるホンダ系のテクニカルスポーツとの契約を希望し、当時そこで活躍中の大月信和氏を通してテストに臨むも荒天になりテストは中止。テクニカルスポーツへの夢を断念。
          11月プライベーターとして参戦中に、城北ライダースの鈴木誠一氏の誘いでスズキ(株)と契約。城北ライダースの契約ライダーとなる。
※当時城北ライダースは精鋭揃いでSP忠男の鈴木忠男氏、レーシングドライバーの星野一義氏も加入を熱望していたと言われています。
●モトクロス、ダートトラック軽量級で8連勝する
●63年度全日本モトクロス選手権新人賞
1965年(昭和40年)城北ライダース所属ライダーとして活躍
●第2回モトクロスGP90ccクラス優勝 65年度チャンピオン
1966年(昭和41年)モトクロスタイヤテストライダーとしてブリヂストンと契約
●全日本ダートトラック選手権 50cc、90cc両クラスチャンピオン
●全日本ロードレース選手権2位
1969年(昭和44年)度重なる怪我により、選手生活を断念。チーム員の育成とレーシングサービスに専念することにする。
1970年(昭和45年)スズキ・レーシング・サービス・スガヤ設立
(スズキ自動車の二輪エンジンの開発に携わる)
(株)スズキ自動車工業とモトクロス部門契約
1976年(昭和51年)チーム員の勧めでカートの開発に着手
●全日本カート選手権に参戦、初戦こそ勝利を逃すがその後9連勝
●全日本カート選手権Aクラスチャンピオン
1977年(昭和52年)(株)エス・アール・エス・スガヤに社名変更
(スズキ自動車の二輪エンジンとカートエンジンの開発に携わる)
●全日本カート選手権Aクラスチャンピオン
ブリヂストンとカートタイヤ開発契約を結ぶ
1978年(昭和53年)●全日本カート選手権Sクラスチャンピオン
●鈴木亜久里スガヤ・スタッグで全日本選手権Aクラスチャンピオン
1979年(昭和54年)●全日本カート選手権A、S両クラスチャンピオン
〈現在も両クラス同時チャンピオンは1人のみ〉
●レーシングカート世界選手権参戦(ポルトガル)5位入賞
今まで予選通過も果たせなかった日本人ライダーの中で初出場でポールポジション獲得。予選3ヒート、決勝3ヒートを走りきり総合5位入賞を果たす
▶1979世界選手権参戦記はこちらから
●香港ワールドカートGP4位
1980年(昭和55年)●望月新一スガヤ・スタッグで全日本選手権Aクラスチャンピオン
1982年(昭和57年)●F1チャンピオンのアイルトン・セナとチームを組みイタリアのDAPチームから世界選手権に出場
▶セナとのカート時代の記事はこちらから
1983年(昭和58年)3年契約で無限カートエンジン開発に携わる
1984年(昭和59年)●無限カートにて全日本カート選手権3位
1985年(昭和60年)●無限カートにて全日本カート選手権2位
●無限カートにて全日本カート選手権チャンピオン
1986年(昭和61年)スズキRGガンマの販売が本格的になり (株)スズキ自動車工業でレース用ガンマのエンジン開発を再開鈴鹿8時間耐久レースにRG500rで総合14位入賞〈これは2サイクルエンジン初の快挙となる〉

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